この度はホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。
私のことを知らない皆様に自己紹介と当施設の想いなどをお伝えさせて頂きます。
稲垣陽介 / Inagaki Yosuke
1995年磐田市豊田町生まれ
鍼灸整骨院、パーソナルジム、整形外科、訪問鍼灸院にてアスリートから高齢者まで幅広い年代・対象者に施術やトレーニングを指導。休日には登山を中心にアウトドアフィールドで体を動かし、自身も健康面を意識したライフスタイルを心がけている。
傾聴力を生かし、お客様の悩みを一緒に考えることを大切に施術・トレーニングを提供している。
資格・略歴など
保有資格
・日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー
・健康運動実践指導者
・食アスリートアドバイザー
・国家資格 はり師、きゅう師 など、、、
プロサッカーチーム、ジュビロ磐田で有名な静岡県磐田市に生まれ小学校から高校までサッカーをしてきました。卒業後は兄の影響でクライミングを始めアウトドアスポーツの道へ。現在は登山を中心にアウトドアフィールドで活動することが大好きで、月に一度は山へ出掛けています。
皆様にお伝えしたいこと(独立をした背景)(資格や職業について)
独立をしようと思った理由・・・
私だからできる事があると思ったから
シンプルでありきたりな理由かも知れませんが、「私だから、、、」の視点で皆様に何かお役に立てることがあると感じ、はじめました。誰でも良いわけではなく、私を頼ってくる人たちがいるから新たな一歩を踏み出しました。
では、なぜトレーナー・施術家を志したのかについて、私の経歴や過去を振り返りながら説明していきます。
トレーナーを志したきっかけ。
当時高校生の私は進路の選択をする際に「トレーナーになりたいと」漠然なイメージだけを抱いて学校を選択していました。
私はサッカー部に所属しており、そこで出会った専属のトレーナーさんに憧れたのがきっかけで志すようになった事を覚えています。
業界のこと、仕事のこと、資格の種類、何も知らない状態でただ、専属トレーナーさんの活動だけを見て、この業界に飛び込みました。
私は鍼灸師の資格も保有しておりますが、最初は愛知県名古屋市にあるスポーツトレーナー養成のための専門学校に2年間、一人暮らしをしながら通学しました。
最初は?・・・・
そうなんです。実は私は2つの専門学校を卒業しており、一つ目の名古屋の学校でトレーナーの資格をいくつか取得し、地元に帰ってきてから鍼灸師の資格が取れる学校に3年間通いました。
充実していた名古屋での2年間
私にとって名古屋での2年間は実りあるとても貴重な時間だったと感じています。
「トレーナーになりたい」と夢と希望を抱いていた稲垣青年はそこでトレーナーの世界がどんなものなのかを少し知ることができ、数あるトレーナー資格の中からアスレティックトレーナーになりたいと、学んでいくうちに感じることができました。
アスレティックトレーナーとは
アスレティックトレーナーという資格はまだまだ国内で認知されておらず、業界関係者、医療に従事している方なら「なんとなく知ってる」という程度の認知度だと感じます。
どこが認定している資格なのかと言いますと、日本スポーツ協会(旧日本体育協会)が認める数ある資格の中のメディカル・コンディショニング部門に属する資格になります。
日本におけるアマチュアスポーツの統括団体。正式名称は公益財団法人日本スポーツ協会。各競技団体や都道府県体育協会などから構成され、国民体育大会の開催、スポーツ指導者の養成、スポーツ少年団の育成、スポーツ医・科学の振興などを主な事業とする。
https://kotobank.jp/word/日本スポーツ協会-1824128
メディカル・コンディショニング部門を確認してもらうと、スポーツドクター(医師)、スポーツデンティスト(歯科医師)、スポーツ栄養士(管理栄養士)と共にスポーツに特化したメディカルスタッフの一員となっております。
アスレティックトレーナーとは
スポーツドクターをはじめコーチ等との緊密な協力のもとに、1)スポーツ活動中の外傷・障害予防、2)コンディショニングやリコンディショニング、3)安全と健康管理 、および4)医療資格者へ引き継ぐまでの救急対応という4つの役割に関する知識と実践する能力を活用し、 スポーツをする人の安全と安心を確保したうえで、パフォーマンスの回復や向上を支援する者のための資格です。
引用:https://www.japan-sports.or.jp/coach/tabid58.html
実務的なことを説明すると、スポーツ現場でチームに帯同し、選手のコンディションを管理したり、試合中のアクシデントに対応したり、チームスタッフとして選手をサポートすることが仕事になります。
・ウォーミングアップやクーリングダウン
・テーピングを巻く
・怪我から復帰するためのアスレティックリハビリテーション
・傷害予防のためのトレーニング
・食事相談。栄養サポート など
チーム・個人の目標に向かい、選手に必要なサポートを全て行っていくのがアスレティックトレーナーです。(働く現場は人それぞれで、病院・介護施設・フィットネスクラブ・独立開業、されている方も多くいます。)
このアスレティックトレーナーの資格取得を目指しながら私は名古屋市に3店舗構えるボルダリングジムでアルバイトスタッフとして勤務させていただきました。
朝から夕方まで学校の授業→ボルダリングジムでのアルバイト→アパート→学校・・・と。
学生らしいキャンパスライフは送っていなかったかも知れません。
もちろん学校の友人と買い物へ行ったり、飲み会をしたり、スノーボードやユニーバーサルスタジオジャパンへ行ったり、お泊りに来てくださる先輩と夜通し語り合ったりした時もありました。
しかし、ほとんどが学校→ジム→アパートの暮らしを送っていました。
「楽しかったの?」と、思われる方もいるかも知れませんが、そう問われると私は、即答で「楽しかった」と答えます。
学校では授業の毎回が学びでしたし、真剣に向き合ってくれる先生がいて、切磋琢磨できる友人が多くいました。
アルバイト先ではスタッフの皆さん・お客さまが温かく迎えてくださり、ボルダリングの楽しさ、接客の心得を教えて下さいました。
アパートでは1人の空間で集中した学習環境を作ることができ、学業に専念することができていたと、今を振り返ると思います。
このような約2年間の生活で試験にも合格し、アスレティックトレーナーなど複数の資格を取ることできました。
学校→バイト→アパートの生活は・学習記憶の定着・ストレスの解消が自然とでき、効率的な学習と心身の調整が取れていたと感じます。
名古屋での2年間が実りある充実した生活だと思う理由は以上のように日々楽しい刺激や多くの方との関わりがあったから、「楽しかった」と即答できます。
地元での3年間
名古屋の学校を卒業してから、次に通ったのは鍼灸科のある医療専門学校です。
当時私が通った学校の鍼灸科は午前と午後の部に分かれ、2限の授業を3年間通うカリキュラムになっていました。
私は午前の部に入学をし、午後の空いた時間をただ過ごすのは時間がもったないと、アスレティックトレーナーの資格が生かせる鍼灸整骨院でアルバイトスタッフとして勤めさせていただきました。
勤めさせていただいた治療院は県内、県外にも店舗を展開する地元ではよく知られている治療院でした。多くの患者様が来られる中で鍼灸整骨院で受付などの雑務やリハビリ・トレーニング指導をさせてもらいました。
1年が経ってからはグループの中に「痛み専門のパーソナルジム」という施設があり、そこでパーソナルトレーナーとしても勤めさせていただきました。また、サッカー経験者だったということとアスレティックトレーナーの資格を保有していた事もあり、会社が契約している高校サッカー部の帯同トレーナーとしても派遣をさせてもらいました。
1週間の内に治療院、パーソナルジム、チームトレーナーと多くの学びと経験をさせてもらい、治療家、トレーナーの先輩方からはたくさんの支援と温かい指導をしてもらい技術や知識はもろん私自身の人間性も磨かれていきました。
お世話になった職場を退社。学生onlyに。
現場から離れ、国家試験に向けて準備をしていきました。
学業に専念すると今までの経験が知識の幅をどんどん広げてくれました。
準備がしっかりできたからこそ国家資格には無事合格。
学び・経験が多い3年間を過ごすことができました。
ここからが本題!忘れかけていたアウトドアの世界。旅の面白さ。そして仕事。
国家試験を終え、すぐに思い立ったのが「そうだ海外に行こう。」でした。学生時代よく見ていたテレビ番組、アナザー〇〇、テラス〇〇、クレイジー〇〇。海外での生活や風景に感化されていました。
思い立ったが吉日。英語は全く喋れませんが、1人で行きたいという想いが強かった 稲垣青年 は目的地をイギリスにして航空券と宿を早速取りました。1人で行きたいと言ったものの1人でイギリスを周るのは「心細い」と友人がいるイギリスを選択し、彼に会いに行くという目的も兼ねてイギリス行きを決めました。
イギリスでの1週間は世界が変わった。
最初の4日間はイギリスの首都ロンドンで宿をとり、1人でロンドン市街を観光、歩き回りました。
見える景色が全て新鮮で、買い物の際にイギリス人と交わすたった一言二言が何か嬉しく感じました。
不安もかなりありましたが、子供みたいにワクワクドキドキしている自分がいて、ホテルでの夜は半分寝てないような状態で4日間過ごしたことを覚えています。
高校を卒業してからたくさんの方と出会い、有難いことにたくさんの学びと経験をさせてもらってきました。
できの悪い私でも「やればできる」「興味のある分野なら自信を持てる」ことを実感してきました。
その一方で新たな刺激に触れること、息抜きするのが下手くそな20代前半を送っていたことに日本を離れて感じることができました。「現実逃避だろ」と思われるかも知れませんが、あえて現実逃避してリセットすることが大切なのではないかと考えることができました。
(言葉がわからない国に行って、相手の反応を気にせず過ごすことができたのも良かった点かも知れません。日本では相手の顔色を常に窺ったり、変な気遣いをたくさんしていましたから、、、)
ロンドンを後にした私はイギリスの南東部に位置するブライトンという所へ向かい、そこに住む友人と合流しました。そこからの残り3日間は彼がエスコートしてくれ、イギリスを存分に堪能することができました。本当にありがとう。
帰国後もアクティブに、、、
日本に帰国した私は、勢いが有り余っていました。 英語が全く喋れなくてモヤモヤしていた分、「国内で言葉が通じる環境だったら何も怖くない」と覚醒していました。
就職先がスタートアップという事もあり、事業スタートが急遽5月スタートになった知らせを受け、その空いたプラス1ヶ月、「何もしないのはもったいない」と帰国して1週間後に鹿児島は屋久島へ飛び立ちました。
「展開早すぎ。」「1ヶ月分給料入らないの嫌じゃないの。」と友人や仲間、知人に言われましたが、「行けてむしろ幸運」と当時の私は海外にかぶれエネルギッシュな状態にありました。
最高だった屋久島。 (また記事にしたいと思います。)
中部国際空港(セントレア)からLCCに乗り、鹿児島ままでバックパック一つで飛び立ちました。港から高速船に乗り換え、念願の屋久島に上陸。
ゴールデンウィーク前、新年度の時期だったこともあり、当時行った時は観光客も少なく、ゆっくり時間が流れる屋久島を堪能できました。天気にも恵まれ、予定していたトレッキングや散策プランは全て大満足な内容になりました。
とても親切な島民のみなさん、ツアーに参加されたグループの仲間・ガイドさん など、、、
ここでもたくさんの方達と出会い、自然豊かな素晴らしい環境の中で過ごすことができました。
イギリス、屋久島などの旅を経て働き始めた私は、1ヶ月に一度は好きな山へ出かけたり、平日はランニングやボルダリングジムに通ったりとやりがいのあるお仕事とプライベートの時間バランスが非常に整うようになりました。
趣味が広げる「人」との繋がり
自然の環境とアクティビティが好きで、クライミングや登山を始めてきましたが、一緒に登る同年代の仲間はあまりおらず、基本単独行動で楽しく出かけていました。(1人でも楽しいから趣味になったと思います。)
しかし、ご縁あって今の仲間と出会い、シーズンが来れば山へ出かけ、定期的に集い美味しいご飯、そしてお酒を飲んだりしています。
山に出かけること、旅に出かけることは私にとって忘れかけていた大切なフィールドでした。(3rd place)
仕事が充実しているから遊びも楽しめる。楽しめるから輪が広がっていく。
(私のベースはあくまでもやりがいのある仕事です。この柱があるからこそ充実した日々が過ごせています。)
そしてこれが何よりも大切な自身の”健康”につながることを知ることができました。
友人にも恵まれ、仲間にも恵まれ、アウトドアフィールドが好きになれたことにも恵まれ、私は本当に幸せです。
「健康を大切に、”いいな”をもっと身近に。」
今までお伝えしてきたように、やりたいことを通して多くの気づきを得ることができ、日々の生活に変化がないことがものすごいストレスになることにも気づくことができました。開業を決めたきっかけもよりベストな結果を出すための変化を起こすためです。上記内容をコンセプトに私ができるコンディショニングを通して皆様に”いいな”を届けられるようなサービスを提供したいと思っています。そして、心から口角を上げれる体験をみなさんと共有したいです。
未来像
・「いいな」と思えるような自身の楽しみを見つけてもらいたい。
・生涯を通して仲間と言える存在がいて欲しい。
・健康の大切さに気付き、ご自身の体と向き合って欲しい。
当サービスをご利用を頂く皆様に、どれか一つでも当てはまるような状態になってもらえたらとても嬉しいです。
私の想い
私自身が忘れかけていたように、バランスの取れていない環境には必ずガタがきます。「カラダ」という資本を大切にしてもらい、ご自身の中で人生が豊かになるピースを集めていってもらいたいです。
行動した先に多くの経験と出会い、失敗が成功に変わる瞬間が必ず訪れます。
不安は成長している証。悩んでいる自分から一歩踏み出し、しびれる経験をどんどんしていきましょう。
「Be brave , Be proactive.」 勇気を出して、積極的に。
今までの生活に変化を。
まとめ
最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。恥ずかしながら私自身の経歴や過去、想いなどをずらずら書いてしまいました。
しかし、上記内容に嘘偽りは一切ありませんし、私自身これからも大切にしていきたい内容になります。
コンディショニングを通してみな様のお役に立てたらとても嬉しいです。
これから皆様にお会いできることを楽しみていると共に、幸せな人生が訪れることを心から祈っております。
稲垣 陽介